杉山英和さん
杉山さんは、大学在学中の20歳の時に難病『潰瘍性大腸炎』を発症した。潰瘍性大腸炎とは、大腸の粘膜に炎症が起きることによりびらん(粘膜がただれている状態)や潰瘍(粘膜がえぐられている状態)ができる原因不明の慢性の病気であり、下痢や血便、腹痛、発熱、貧血などの症状がある。
当時何か大きなストレスを抱えていたわけでもなく、ある日突然、トイレで赤い水滴を目にするようになり、出血が「無視できない量」になっていった。
杉山さんの言葉から、この難病の患者が直面する厳しい生活シーンが想像できる。
「口内炎が腸にびっしりできていると思ってください。そこに何かが流れるだけで痛いし、ひどくなれば粘膜から出血する。血液は水物なので踏ん張ることもできず、下血する。結果的に、貧血にもなる。そんな腹痛もいつ来るかわからず、早朝の3時4時に痛みが来て、トイレ内で気を失いそうになることもあります」
しかし、「病気も苦しかったのですが、社会にある壁や障害が苦しかった」
病気を発症した当時は、就職氷河期のまっただ中。ただでさえ厳しい就活の中で、「病気のことをやんわりと話せば、当然落ちたし、話を聞いてくれる企業はなかった」。『新卒』という貴重なカードは失われた。
20代半ばで就職できたが、高評価を得れば頑張り過ぎてしまうサイクル、そして役職に就けば通院する時間も取れなくなる、でも自分の体とどう付き合えばいいか情報もない。結果的に、体調を崩して退職した。
面接では「使えなくても健康な奴がいい」と言われ、病原性大腸菌O157の事件が起これば病気がうつるかのように誤解されて消毒剤をまかれたことさえもあった。
例え仕事に就けても「就けない辛さをわかっているので、弱さは見せられなかった」。フラフラで職場に行き、帰ってきたらグッタリの毎日。周囲からは「なんだ普通じゃん」と声をかけられるが、それが2-3年続けば疲れ切ってしまう。一つの仕事を長く続けられずに、給料も上がらなかった。
それでも働きたいと行政の窓口にも相談したが、「手帳がないから難しい」「もっと悪くて手帳や年金をもらえたら楽なのにね」「生活保護を受けたらどうか」といった言葉を投げかけられたこともあった。
実は、『潰瘍性大腸炎』は難病ではあるが、障害者手帳の交付や障害年金の給付を受けられるわけではない。相談というよりは、制度を前提にした回答をもらうのみだった。
就労移行支援制度の利用も勧められたが、その後に就職するにも、企業から見れば、障害者手帳がなければ法定雇用率にカウントできない。ここでも「手帳」が壁となった。
杉山さんは決して社会や行政や制度を批判したいわけではない。
難病と言えど、それぞれの疾患ごとに特徴があり、潰瘍性大腸炎の場合は必ずしもいきなり倒れたり、長期の休養が必要なわけではない。急な腹痛時にトイレに行かせてもらったり、担当の医師が限られるため平日の通院日に休みを取れるような配慮をしてもらうことで社会参加ができると考えられる。通勤時に電車内で急な腹痛に襲われることを考えると、仕事内容によってはリモートワークでなら自分のスキルを発揮できる人も多く存在するだろう。
手帳を持たない難病患者を雇用しても障害者の法定雇用率にカウントされないことから企業が採用に消極的な面もあるかもしれないが、実は新たに難病患者を雇い入れて配慮することを前提に助成金も用意されている。しかし、制度そのものや申請方法などをまだ知らない企業も多くあるだろう。
杉山さんは純粋にそうした啓発を積み重ねていきたい。「難病でも雇用している企業が増えると、すごく勇気になる。それが少しでも広がると嬉しい」
自治体も『難病就労サポーター』を設置するなど、前向きに動いてくれている。しかし、杉山さんの地元の県には、杉山さんと同じ難病の方が1万人以上おり、世の中の難病の数は300を超える一方で、難病就労サポーターはたった一人だ。それは他の都道府県も同じで、多いところでも二人という状況だ。
結果的に、杉山さんが行けるハローワークの場合は予約を取れるのは数週間先になってしまうこともあり、相談に乗れる職員側もキャパオーバーになってしまう。
そして、難病患者にとっての課題は、必ずしも就労だけではない。杉山さんは、同じ当事者のピアサポーターとして、生活や治療も含めて広く相談に乗れる役割を引き受けたいと考えている。
杉山さんは、自分の時代を「やりたいことよりは、どこでもいいから拾ってくれという感じ」だったと振り返る。でも、「これからの若い人にはもっと安心して生活し働いてほしい」。そのための相談窓口を開くために、「身銭を切ってでも始めたい」と家族と話し合いつつ、組織の立ち上げに向けて少しずつ歩を進めようとしているところだ。
そんな考え方をもつようになったきっかけは、40代になって初めて就いた障害福祉の仕事だった。必死で頑張ろうとする障害のある方々と、自分の子どもでもないのに親身になって支援する先輩方の尊い姿を見て「考え方が180度変わった」。
それまでの杉山さんの環境は、できないことを覆いかぶせられて苦しむものだった。それでも、杉山さんは障害福祉と出会い、自分は相手のやりたいことに耳を傾けて支援する存在になろうと考えるようになった。
当事者としての苦しみを知り、障害福祉に出会ったことで、その経験をプラスに変えて次の当事者を支援する仕事を始めようとしている人がいる。こんな人こそ、Inclusive Hubで応援したい。