伊藤芳浩さん

 マイノリティ(少数者)は社会を変えられるか?
 多くの人は懐疑的だろう。しかし、そこに向けた活動だけで終わらず、実際に変えるまでやり切るのが、ろう者である伊藤さんが理事長を務めるNPO『インフォメーションギャップバスター(IGB)』だ。情報バリアやコミュニケーションバリアを解消することを事業に掲げ、大きな成果を上げてきた。
 
 例えば、救急車を呼んだり、消防車や警察に連絡したりしたいとき、誰もが電話を手に取るが、聴覚障害者はその手段が使えず、命にかかわる。
 それを解決するのが、きこえない人ときこえる人を、オペレーターが「手話や文字」と「音声」を通訳することにより、電話で即時・双方向につなぐ『電話リレーサービス』である。IGBは、他の多くの関係団体が同様の活動を行う中で、その一翼を担い、試行的なサービスに留まっていた電話リレーサービスを法制化し、社会インフラに位置づけることに成功した。

 また、オリンピック・パラリンピックは「多様性と調和」を掲げるにも関わらず、東京2020オリンピックの開会式では、無観客のスタジアムにある大型ビジョンには手話通訳が表示された一方で、テレビ放送には手話通訳が表示されなかった。
 すぐさまIGBが動き、他の当事者団体も同様に声を上げる中で、そのテレビ放送への手話通訳導入を実現し、オリンピック閉会式及びパラリンピック開閉会式のテレビ放送(NHK Eテレ)に手話通訳が表示されることになった。

 そんな成果を上げてきたIGBは、いわゆる歴史があって各都道府県に支部を持つような伝統的な当事者団体ではない。約100名程度いるメンバーのほとんどが、会社員で、専従者は一人もおらず、NPO活動に割ける時間は限られる。伊藤さん自身も、大手総合電機メーカーでデジタルマーケティングに取り組む会社員だ。

 では、なぜ、小さなNPOが社会を変えることができたのか?
 鍵は、3つのアクションだ。
 ①当事者の困りごとをうまく伝える「アドボカシー(広報活動)」
 ②社会や行政に関心をもってもらう「エンゲージメント(世論形成)」
 ③解決のための政策形成を促す「リコメンデーション(要望活動)」
 具体的な取り組みや実践事例については、伊藤さんの著書『マイノリティ・マーケティング』をぜひご覧いただきたいが、IGBは、3つのアクションを重層的・有機的に組み合わせることで、社会問題を解決へと動かしてきた。

 そして、この3つのアクションの原点は、伊藤さん自身の経験にあるのかもしれない。
 生まれつき耳がきこえなかった伊藤さんは、ろう学校の幼稚部を終えた後、ろう学校ではなく、普通の小学校に入学した。
 伊藤さんのお母さんは、伊藤さんがきこえないことについて先生や同級生に説明して回った。まさに広報活動と言える。そのおかげで、伊藤さんには「周りの同級生が結構助けてくれたという思い出」がある。小さな世論形成がなされていた証拠だろう。そして、きこえないことに対して理解のない先生がいれば、同級生たちが代わりに説明に行き、先生の配慮不足に対する謝罪まで取りつけたこともある。問題に対して要望活動が展開された小さな事例である。

 しかし、伊藤さんが大学に進学して社会に出て、同じきこえない・きこえにくい人たちに出会う中で、必ずしも周囲の配慮に恵まれず、問題を抱えてきた当事者を数多く知ることになる。
 きこえない・きこえにくいことで直面するバリアを取り除きたい、次世代の同じような子どもたちが活躍できる社会を創りたい。それが、伊藤さんが仲間たちとIGBを設立した原点だった。
 そして今は、昔と比べて専門的な分野に進出して活躍している当事者も増えている。でも、そういった当事者でも、バリアを超えるために「格闘している」。IGBは、マイノリティ・マーケティングを通じて、そうした当事者たちの活動を支援し、社会全体のバリアをなくしていくことを目指している。

 最後に、伊藤さんにこの先の夢を聞いた。
 照れながら、「みんなに言ってないから恥ずかしいけど、テレビとかで手話を使ってコメントするコメンテーターになりたいです」と答えが返ってきた。
 伊藤さんの頭の中は常に、社会問題を広く伝え、関心を持ってもらい、解決を図っていくことで一杯なのかもしれない。

 そんな素敵な伊藤さんやIGBと一緒に情報バリアやコミュニケーションバリアを一つでも多く解決してみたいと思われた方は是非、IGBにご連絡ください。

 
【インフォメーションギャップバスター(IGB)】https://www.infogapbuster.org/
【マイノリティ・マーケティング】https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480075406/