七海さんごさん

 『37歳、引きこもり、今さら発達障害と言われたら母に全否定されました』

 これは、七海さんが執筆している長編小説のタイトルだ。七海さん自身も発達障害と診断されているが、それは27歳の頃のこと。さらに引きこもりの経験もない。
 では、なぜこの内容の小説を書き始めたのか。

 小説では、長く引きこもっていた主人公が、年齢を重ねてから発達障害と診断され、それを母親にひどく否定されたことをきっかけに「家から出たい」という動機をもち、自助会で他人と出会い交流し衝突しながら地道に福祉制度も利用して、少しずつ社会復帰していく。

 七海さんはまず、「こういう人って結構いるよ」と訴えたかった。発達障害に気付かないまま引きこもりになり、親から否定され、孤軍奮闘しなければいけない生きづらさをもつ人たちだ。さらに、そんな人たちが自ら支援を知ってつながるきっかけを掴めない現状だ。
 そして何より、そんな人たちに向けて、実は周囲に支援があることを「あなたは知らないだけなんだよ、自助会からでも行ってみない?まだ遅くないよ」と、小説の主人公の成長を通して伝えたかった。

 七海さん自身も、家庭から支援が得られない「機能不全家庭」に育ち、社会に出て仕事もうまくいかず、うつ病になった経験がある。
 そんな中、七海さんにとって、読んだり書いたりすることだけが支えであり救いだった。それをネット上に公開するようになると、そこに「居場所ができるようになっていった」。
 そうした延長で外に目を向けられるようになったのかもしれない。発達障害と診断された後に、七海さんが支援のきっかけを掴みに行ったのが、発達障害の自助会の代表による講演だった。

 そこから自助会に顔を出すと、手帳や年金など「誰にも習うことができなかった知識」を得ることができた。それまでかかった病院や医師からは教えてもらえなかったことだった。
 「もっと早く知りたかったですよ。それこそ中高生の頃から知っていたら通ったし、(自分も家族も)もっと色々できた」と七海さんが振り返るほどに、自助会と、それを通じて知った福祉制度から得られるものは大きかった。

 福祉制度につながったことで救われたのは、七海さん自身だけではない。
 お父さんはアルコール依存症に苦しんでいた。七海さんは社会福祉士の友人からもらった「諦めずに相談しろ」という言葉を信じて、民生委員につながると、スムーズに介護を受けられるようになり、驚くほど「状況は変わった」。つながったことで「知らない壁」を乗り越えた。
 弟さんは働くことができなくなった時、傷病手当金の申請に困難を感じていた。ソーシャルワーカーに手伝ってもらうと、わずか1か月後に振り込まれた。「本当だったんだ、こんなの受けられるわけないと思っていた」という弟さんの言葉を聞いた七海さんは、「知らない壁」を乗り越えてもさらに「不信の壁」もあることを強く感じた。

 七海さんは、自助会への参加を通じて多くの障害当事者に出会う中で、「誰かに伝え相談することをやめない人」はうまくいき、逆に「それをやめてしまう人は孤立してしまって」うまくいかないと感じている。
 支援を自分から知ろうとするよりも「閉じてしまった方が楽」、支援を知ったとしても「相談しない方が楽」というメンタリティも理解できる。でも、そのままでは「戻ってこれなくなってしまう」と七海さんは話す。

 改めて、七海さんはなぜ、『37歳、引きこもり、今さら発達障害と言われたら母に全否定されました』という”フィクション”の小説を書いたのか。
 その答えは、より多くの人が支援に手を伸ばすことができるように、ストーリーに「少しでも再現性をもたせるため」だ。そして、「こういう風に助かっていく道もあるんだよ」と、知らない壁や不信の壁の向こう側に届いてほしい。さらに、届いた時に福祉制度をちゃんと利用できるように、制度の内容や利用の仕方まで丁寧に盛り込んだ。
 
 近年、発達障害を取り扱った小説が芥川賞を取った。
 七海さんは、ご自身の小説について「地味だから読まれないかもしれないけれど、一人でも届いてくれたら嬉しいかな。それが書くパワーになっている」と話してくれた。

 届いた人の数とその先で行動を変えた人の数は全く別物だし、その比率こそ大事だ。
 もちろん、七海さんの小説がより多くの人に目に触れて欲しい。でもそれ以上に、読んだ人が自ら支援に手を伸ばすきっかけにしてほしい。それが七海さんの願いだ。
 その願いを叶えてくれそうな人にこそ、まずは読んでほしい。

【小説】『37歳、引きこもり、今さら発達障害と言われたら母に全否定されました〜絶望した私は自助グループで救われる…職歴なしアラフォーでも家を出たい〜』https://ncode.syosetu.com/n4894km/
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