竹本真悟さん
「療育」という言葉と、「教育」という言葉がある。
様々な定義があることは承知の上だが、「療育」は子どもたちが自立して社会生活に適応できるように、「教育」は子どもたちが社会生活を豊かにするための知識を持てるように、と表現すると、何か段階のような違いが見えるかもしれない。
竹本さんはろう者として日本と米国で就学・就労経験をもち、日本で介護施設の経営というキャリアを積み、そして0歳と3歳の難聴児をもつ親という顔ももつ。そんな竹本さんのお話を通じて感じたのは、療育と同時に教育を届ける環境の大切さだ。
竹本さんは、手話は使わない口話だけのろう学校の幼稚部に通い、発話の力を身に着けた上で、ご両親の勧めもあり、小学校からは一般校で学んだ。
しかし、口話を身に着けたとはいえ、授業で先生が言うことを100%聞き取れるわけではなく、「クラスで授業を受ける意味があるのかと限界を感じた」。唯一自分の存在を示せる部活動も終えた高校3年生の頃には、大学に行ってこれ以上学ぶ気さえ失せていた。
そんな竹本さんに「あなたは日本にいるべきじゃない。日本から出なさい」と声をかけたのは、お姉さんだった。お姉さんは、米国でソーシャルワーカーを専攻し、アメリカ手話も学んでいた。現地の『障害を持つアメリカ人法(ADA法)』やそれに基づく聴覚障害者への手話通訳などの配慮にも詳しかった。
「とりあえずアメリカに行ってみよう!」と、卒業見込みをもらって高3の1月に飛び出した先の米国は、「学ぶことが楽しい」と心底思える環境だった。
語学学校に半年通い、手話を使う先生から「英語とアメリカ手話とろう文化」を学んだ。竹本さんにとって、コミュニケーションの幅、出会い、そして可能性が一気に広がった。
その後、世界で唯一の聴覚障害者のための総合大学であるギャローデット大学で奨学金をもらいながら2年間学んだ後、メリーランド大学ボルチモアカウンティ校で機械工学を専攻。補聴器や人工内耳、さらに義肢装具のデザインなど、福祉機器をテーマに幅広いリサーチに取り組んだ。隣にはいつも、情報保障をサポートしてくれる手話通訳者がいた。
残念ながら、日本の教育現場では予算や人材の都合で手話通訳による情報保障が難しいケースが多い。じゃあ音声を拾えるデバイスを活用しようという話も出るのだが、重要なことは、対話を通じて議論に参加すること、そこから主体的に学ぶことだ。そんな教育環境こそ、より早い段階から求められる。
その後、竹本さんが大学院への進学費用を貯めるために勤めたのは、現地の特許事務所。そこは公的機関ではないので、手話通訳は付かなかった。
しかし、「やってみろ、わからなかったら言え」と文字ベースで仕事を教えてくれた。日本のようにマナー研修から始まるわけでもなく、最初から案件を任せられた。最初は微々たるものだった給料も頑張った分だけどんどん上がった。
「障害者として見られていなかった。やりがいを感じた」と竹本さんは振り返る。
そして、その特許事務所からロースクールの学費まで出すと言われるまでになったが、東日本大震災が起こり、竹本さんは帰国を余儀なくされる。
しかし、日本の大手企業を経て、「役員として介護施設の経営をやらないか」と声がかかる。竹本さんが出した役員就任の条件は、米国での就学環境と同じ「手話通訳をつけること」。
その結果も、米国と同じ。環境さえ整えば、最初は失敗だらけでも、最後には大きな成長を遂げることができた。
改めて、この記事の冒頭で「療育」と「教育」の話をさせて頂いた。
子どもたちが自立して社会生活に適応できるようにする「療育」はとても大切だ。でも、同じくらい早い段階から、子どもたちが社会生活を豊かにするための知識を持てるようにする「教育」も大事だ。
竹本さんは今、お子さんに0歳から手話を教えている。地域でも、難聴児とその兄弟、コーダを対象とした手話での読み聞かせなどに取り組んでいる。さらに、テクノロジーも活用して「テレビで放映されるすべてのアニメに手話のワイプが入るように」といった世界の実現も目指すプロジェクトも始める。
すべては、「どこでも手話が当たり前にある環境をつくる」ためだ。
手話を通じて学べる教育環境が整えば、子どもたちの才能はより早くより大きく開花する。そして、そんな環境の先には素晴らしい仕事が待っている。そのことは、竹本さんのこれまでの活躍の歩みが証明している。
そんな竹本さんのプロジェクトにご協力いただける方は、是非ご連絡ください。
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