新井悠生さん、新井千保さん(前編)
脳の神経細胞が異常な電気活動を起こして発作をくりかえす慢性疾患「てんかん」。
乳幼児から高齢者、100人に1人の発症率、日本には100万人の患者がいる。
しかし、周囲で「てんかん」を耳にすることはそれほどあるだろうか。
てんかんを発症しても、70から80%の患者は薬や外科治療で発作を抑制できて、普通の生活ができる。条件を満たせば運転も出来るし、妊娠や出産も心配ない。
すると、結果的にそれらの人は、周囲に理解や配慮を求める必要がなくなり、
自ら、てんかんである、と言うこともなくなる。
しかし、残りの20〜30%の人達は、周囲に理解や配慮を求める必要がある。
薬や外科手術を用いてもてんかん発作を止められない。
難治性てんかんと呼ばれ、新井悠生さんもその1人だ。
悠生さんは、中学1年で、急性脳炎に罹り、生死の境をさまよった。
一命はとりとめたが、後遺症として、難治性てんかんと、高次脳機能障害を併せ持つ、中途障害者になってしまつた。
母である、千保さんは、特にその中学校時代が1番キツかった、と振り返る。
まず、高次脳機能障害のため、今まで出来ていたことが出来なくなった、それまでの彼とはちがう。
脳内疲労と薬の副作用のため、ぼんやりしがち、そこに、時々、てんかん発作が起こる。
大変困っている状態なのだが、身体的にはどこにも麻痺などがないので、皮肉なことに外見から障害がわかりにくい。
悠生さんが進学したのは公立の中高一貫校で中等部が始まったばかり。
義務教育中のため休学も出来ず、支援学級もなく、転校も難しかった。
千保さんは少しでも学校現場での配慮が得られるように、行政機関に足しげくはたらきかけたが、うまく改善されていかない。
高次脳機能障害からくる記憶障害のため、クラスメイトの名前もわからなくなり、だんだん孤立していく、唯一吹奏楽部だけが登校できる場であった。
孤独になるのは、本人だけでなく、家族もそうなる。
千保さんは「息子が突然障がい者になって右往左往しているのに、同級生の母達と、偏差値の話なんてできない」「我が家の話が重すぎるし、気を遣われるのも苦しくて、これまでのママ友のアドレス帳が書き換わってしまった。」と振り返る。
てんかん当事者家族会、高次脳機能障害家族会などにも行ってみるが、悠生さんのように、2つを併せ持つのは極めて稀なケースで、メンタルが崩壊しそうな母を見かねた悠生さんの主治医が千保さんに心理士のカウンセリングを処方してくれた。
当時は、いつ起きるかわからないてんかん大発作、それに続く意識朦朧、薬の副作用と脳疲労で普通の生活が難しくなる。
その病気と障害を、理解しなければならないが、それを認めたくなくて、当事者も家族も葛藤していた。