佐藤大記さん(前編)

「不登校、行き渋りの子専門のオンライン空手スクールを立ち上げ準備中です」─佐藤大記さんは、ADHD(注意欠如・多動性障害)とASD(自閉スペクトラム症)の特性から不登校を経験し、その後空手と出会って全国大会に出場、日本の強豪チームに在籍、指導者となった後は審判員としても全国大会で活動するまでになった人物だ。

佐藤さんは生まれてから話すのも歩くのも、他の子と比べてかなり遅かった。集団に入れば順番を守れず、授業中でも立って歩き回り、関係のないことでも思いついたらすぐに話してしまう。どこまでも勝手に行動してしまう子どもだった。

誰も発達障害という言葉を知らない時代。「変わっている子ども」というレッテルを貼られ、幼稚園の頃からありとあらゆる陰湿ないじめを経験した。

幼稚園では頭を洗濯機の中に突っ込まれ、椅子で殴られた。小学校では教科書をトイレで水浸しにされ、靴には画鋲が入れられた。運動も苦手で不器用、動作も鈍く、いじめっ子に追いかけ回されては捕まって殴られ蹴られた。逃げようと廊下を走れば、今度は先生にも殴られた。学校の外でも帰り道で田んぼに突き落とされることもあった。

家に帰れば父親に「やり返してこい」と言われ、いじめっ子の家の前まで連れて行かれた。しかしピンポンが押せず、涙を流すしかなかった。相手の親から「お宅の子が家の前で泣いている」と連絡をもらい、母親が迎えに来たこともあった。

両親は佐藤さんを守るため、いじめっ子や保護者、学校を相手に立場を問わず戦ってくれたが、そんな日常で学校と家庭に居場所がなくなり、ついに小学校に通えなくなってしまった。

悩みに悩んだ両親が児童相談所で勧められたのが武道だった。父親がタウンページでたまたま選んだ道場は、秋田県内で一番強く厳しい空手道場だった。

練習は大変厳しいものだった。空手は一人でやるものと思われがちだが、同じ動作の練習で一人でも間違えると、他の人はその姿勢のまま待たなければならない。それでも佐藤さんが学校と同じように不器用でも、一生懸命にやれば師範はみんなの前で褒めて認めてくれた。馬鹿にしたり嫌がらせをする先輩や仲間は一人もいなかった。むしろ先輩たちは一生懸命教えてくれたという。

佐藤さんは学校の代わりに居場所となった道場に、休まず通い続けた。

その後、小学校に復帰することになった時、佐藤さんが師範から言われたことがある。いじめてきた相手に「やり返してこい」ではなく「毎朝挨拶に行ってこい」と。

佐藤さんは嫌だったが、師範の指導は絶対である。
やり続けていると、いじめっ子の一人が自分の家に遊びに来るようになった。同じいじめっ子に見えていたその子から「グループにはいたけれど、殴ったり蹴ったりしたことはないし、する気もない」と聞かされた。それどころか他の子も連れて遊びに来るようになり、「あっという間にいじめられなくなった」という。

「障害特性が変わるわけではないので、もちろん人間関係では色々ありました。でも自分が夢中で頑張って取り組んでいる空手があったので、卑屈にならないようになったんです。それまでの人生とは大きく変わりました」

後編(https://inclusive-hub.com/official_posts/238